2015年 02月 05日
おふくろの味 |
【才能応援プロジェクト】ブログを書いてプロをめざそう!
母親が去年死んだ。
ふと、自分の母親の味は、なんだろうと
考えるようになった。
母親は、いわゆるフルタイムで働き、
子どもの運動会や発表会も休まず、
働いた。参観日ももちろん来てくれず、
寂しかった。いつしか、寂しい感情をどっかに
置いてきて、今は寂しいのが、よくわからなく
なった。
そんな、私と母親の絆を辛うじて繋いでいたのは、弁当だと思う。
運動会や遠足の時の弁当に母親は、いつも赤飯を入れた。
赤飯は、好きなので、嬉しいけれど、恥ずかしい。
赤飯は、好きなので、嬉しいけれど、恥ずかしい。
クラスメートに何がめでたいの?とよく聞かれた。
赤飯は母親の得意料理だった。
得意料理で、がんばってほしいと願う親心なんだと。
確かに赤飯を食べるとなんだかがんばれる。
それは、今でも。
母親の得意料理は、私は作れない。
母親の得意料理を真剣に習っておけばよかったと
つくづく思う。
母親がいつもいると思っていたので、
習わなくてもいつもおいしい赤飯が食べられると
思っていたからだ。
母親はいつかは死ぬ。それがすっぽり頭の中に
なかったように思う。
辛うじて母親の赤飯の作り方をならっていた
姉が、去年生まれた私の息子のために
赤飯を炊いてくれた。
少し安心した。それでもいつか姉も死ぬ。
力がわいてくる赤飯を私も作れるように
なりたい。
姉から習おう。そして、娘や息子に継承していきたい。
母親が生きていた証拠をがんばれる力の源の
私の大好きな赤飯を。
赤飯は母親の得意料理だった。
得意料理で、がんばってほしいと願う親心なんだと。
確かに赤飯を食べるとなんだかがんばれる。
それは、今でも。
母親の得意料理は、私は作れない。
母親の得意料理を真剣に習っておけばよかったと
つくづく思う。
母親がいつもいると思っていたので、
習わなくてもいつもおいしい赤飯が食べられると
思っていたからだ。
母親はいつかは死ぬ。それがすっぽり頭の中に
なかったように思う。
辛うじて母親の赤飯の作り方をならっていた
姉が、去年生まれた私の息子のために
赤飯を炊いてくれた。
少し安心した。それでもいつか姉も死ぬ。
力がわいてくる赤飯を私も作れるように
なりたい。
姉から習おう。そして、娘や息子に継承していきたい。
母親が生きていた証拠をがんばれる力の源の
私の大好きな赤飯を。
by icemonaka-ankoiri
| 2015-02-05 00:23